第02回:「口約束で十分」が危ない!トラブルを防ぐ労働条件の明示ルール

1. はじめに

「うちは社長と従業員が家族みたいなもんだから、堅苦しい契約書なんて必要ないんだよ。給料や休みについては、面接のときにしっかり話して納得してもらっているし、信頼関係で成り立っているから大丈夫さ」

小規模企業の社長から、こうした声をよく耳にします。確かに、お互いの顔が見える距離感で働く小規模企業にとって、信頼関係は何よりも大切です。しかし、実はこの「信頼関係があるから口約束でいい」という善意の考え方こそが、将来、会社を揺るがす大きなトラブルの火種になる可能性があるのです。

ブログ連載第2回は、ついつい後回しにされがちな「労働条件の明示」について、なぜ「紙」に残すことが社長自身を救うことになるのかをお話しします。

2. 労働契約は「口頭」でも成立する。だからこそ怖い

まず知っておいていただきたいのは、労働契約そのものは、社長が「雇います」、従業員が「働きます」と合意すれば、口頭でも成立するということです。押印した契約書がなくても、お互いの約束があれば法的には契約が結ばれたことになります。

しかし、ここからが重要です。労働基準法では、契約の内容について後から「言った、言わない」の泥沼の争いになることを防ぐため、会社に対して「重要な労働条件をはっきりと示すこと」を義務付けています。

特に重要な項目については、単に口で伝えるだけでなく、原則として「書面」を交付して伝えなければなりません。たとえ社長が「面接でしっかり説明した」と思っていても、形に残る証拠がなければ、法律上は「条件を明示していない」とみなされるリスクがあるのです。

3. 必ず「紙」で伝えなければならない6つの項目

では、具体的に何を伝えればよいのでしょうか。法律では、以下の6つの項目を必ず書面(労働条件通知書など)で渡さなければならないと決まっています。

  1. 契約期間はいつまでか(期間の定めの有無など)
  2. 更新がある場合の判断基準は何か(契約期間がある場合)
  3. どこで、どんな仕事をするのか
  4. 仕事の時間や休みはどうなっているか(始業・終業時刻、休憩、休日、休暇など)
  5. 給料はどのように計算し、いつ支払われるか
  6. 辞めるとき(退職や解雇)のルールはどうなっているか

「そんなの当たり前のことじゃないか」と思われるかもしれません。しかし、例えば「残業代は基本給に含まれているつもりだった社長」と、「別途もらえると思っていた従業員」が、この書面を取り交わしていなかったらどうなるでしょうか。数年後、関係が悪化した際に過去の残業代をまとめて請求されれば、書面がない会社側が圧倒的に不利な状況に追い込まれてしまいます。

4. 2024年4月からルールが厳しくなりました

さらに注意が必要なのは、2024年4月からこの明示ルールが新しくなっている点です。 これまでの項目に加え、「就業場所や業務が、将来的に変更される可能性がある範囲」についても明記しなければならなくなりました。

例えば、「当面は現場作業だが、将来的に営業に回ってもらう可能性がある」といった場合、その変更の範囲をあらかじめ書面で示しておく必要があります。この新しいルールは、2024年4月以降に契約を結ぶ人だけでなく、契約を更新するパート・アルバイトの方にも適用されます。以前の古いテンプレートをそのまま使い続けていると、いつの間にか法違反になってしまう恐れがあるため注意が必要です。

5. メールやLINEでの通知は「本人が希望すれば」OK

「今の時代、紙で渡すのは手間だ」と感じる社長もいらっしゃるでしょう。 現在では、従業員本人が希望した場合に限り、メールやLINE、FAXなどで労働条件を伝えることも認められています。

ただし、条件があります。それは、「受け取った本人がプリントアウトして書面を作成できる状態であること」です。SNSでメッセージを送って終わりにするのではなく、PDFファイルなどを添付し、本人がいつでも手元に残せる形にすることが求められます。また、送りっぱなしにするのではなく、本人が確かに確認したという返信をもらっておくのが実務上の知恵です。

6. 今日からできる具体的な一歩:モデル様式を活用しよう

「一から書面を作るのは大変そうだ」と思われた社長、ご安心ください。ゼロから作成する必要はありません。

厚生労働省や各労働局のホームページには、法的な要件をすべて網羅した「モデル労働条件通知書」のひな型が公開されています。これをダウンロードして、自社の条件に書き換えるだけで、会社を守るための立派な盾が完成します。

まずは、今いる従業員の方、特に契約更新が近いパート・アルバイトの方の条件が、最新のルールに沿った書面になっているか確認することから始めてみてください。

もし、「うちの複雑な給与体系をどう書けばいいのか分からない」「特殊な働き方の場合はどうなるのか」と迷われることがあれば、早めに顧問の社会保険労務士などの専門家へ相談することをおすすめします。個別の事情に合わせた最適な書き方のアドバイスを受けることができます。

7. まとめ

適切な労働条件の明示は、単なる事務作業ではありません。「社長が従業員を大切に思い、正当なルールで迎え入れている」という姿勢を形にするものです。

書面で条件をはっきりさせることは、従業員の安心感につながり、ひいては社長の大切な会社を「言った言わない」の不毛な争いから守ることになるのです。

投稿者プロフィール

石田厳志
石田厳志
木戸社会保険労務士事務所の三代目の石田厳志と申します。当事務所は、私の祖父の初代所長木戸琢磨が昭和44年に開業し、長年に渡って企業の発展と、そしてそこで働く従業員の方々の福祉の向上を目指し、多くの皆様に支えられて社会保険労務士業を行ってまいりました。
当事務所は『労働保険・社会保険の手続』『給与計算』『就業規則の作成・労働トラブルの相談』『役所の調査への対応』『障害年金の請求』等を主たる業務としており、経営者の困り事を解決するために、日々尽力しています。経営者の方々の身近で頼れる相談相手をモットーに、きめ細かくお客様目線で真摯に対応させていただきます。